今日から毎日卒論を焼こう

 こんにちは。卒論を焼きに来ました。

私の卒論のテーマは「中国福建省・徳化窯の白磁研究 ー観音像を中心に」です。

 

 ではまず、福建省とはどんな場所でしょうか。 

以下引用です。

 

世界大百科事典 第2版の解説

 
中国,南東部の行政区域。その名は福州と建州とを併せたもので唐代から始まり,別名の(びん)は古くこの地方にいた民族の名である。面積12万1400km2,人口3261万(1996)。1地区,8地級市,15県級市,46県を管轄し,省都は福州市。全省を通じて90%までが100~200mの山地丘陵で,平地は狭小な海岸地帯と山間盆地にすぎない。海岸線は屈曲に富み,島の数は1100余にも上る。耕地が少なく土地がやせ農業が発達しなかったので,人民は古くから活路を海外に求め,広東省とともに東南アジア華僑の二大出身地となっている。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

 

以上、世界大百科事典からの引用でした。烏龍茶の生産で有名ですね。地理の教科書だとフーチアンだそうです。地理未履修勢なので知りませんでした。おお怖い。

徳化窯というのは窯の名前です。福建省の徳化県にある焼き物づくりの工場、という感じでしょうか。

 

 それでは「徳化窯白磁」の歴史について、これから紹介していきましょう。

徳化窯で白磁が作られるようになったのは宋代のころ。13世紀からすでに福建の陶工(焼き物屋さん)たちは海外へ、特に華僑に陶磁器を売り出していました*1

13世紀というと福建省はお茶の生産が盛んになった頃で、景徳鎮が陶磁器の特産地として有名になったのもこの時期です。

景徳鎮の陶磁器が透き通るような青白さを持つのに対して、徳化窯の白は象牙のような柔らかい乳白色であると個人的には思います。この象牙のような白さが、のちに述べる「観音像」と関わると思うのですが、それはもう少し後で・・・

1600年以前から徳化窯製の白磁は西洋へ届きはじめており、Donnely,Patric.Jの説では清の康熙帝(1662ー1722)の時代が黄金期とされています*2。その説を支える根拠の一つとして、Donellyの主な研究対象であるザクセン選帝侯、フリードリヒ・アウグストⅠ世のクンストカンマー(陶磁の間)が挙げられるでしょう。何故ならば彼の膨大なコレクションに含まれる徳化窯のほとんどが18世紀前半ごろのものだからです。一方で景徳鎮陶録によれば、明代(1368-1644)には生産が活発になされていたことは確実だそうです*3

 アウグスト強王ほど陶磁器を収集した人はなかなかいませんが、彼のように東洋の陶磁器に魅了され、陶磁器を収集した西洋人は少なくありませんでした。ヴンターカンマー(驚異の部屋)の時代とシノワズリ(中国趣味)の流行により、徳化窯の白磁含む東洋陶磁はヨーロッパで飛ぶように売れ、人気を博しました。そうして、徳化窯の白磁は"Blanc De Chine"(白磁)の名で呼ばれるようになったのです。すんげ〜。

 

次回はヴンターカンマーやシノワズリの話と、徳化窯で作られた工芸品の種類などについて書きましょうかね。拙い文章ですがお読み頂きありがとうございました。

少しでも感想や質問等ございましたらなんでもお寄せください。全裸でお待ちしております。

 

 

 

 

 

〈参考文献〉

福建[省](ふっけん)とは - コトバンク 2020年7月14日閲覧

John Ayers "Blanc De Chine -Divine Images In Porcelain" Art Media Resources,Ltd. 2002

*1:J.Ayers

*2:J.Ayers

*3:J.Ayers