卒論焼いてる

こんにちは。卒論を焼きに来ました。

 

前回は徳化窯の作品を数え、どのような特徴があるか探るために表を作成しましたが、なんか微妙でしたね。(笑)

強いていえば期待したほど観音は多くない感じです。悪い予感がしますよォ!

 

今日は景徳鎮陶録が届いたのでそちらの記述と、中国陶瓷見聞録、天工開物その他色々と東洋文庫で検索して見つかった「徳化」や「徳化窯」に関する記述を確認してみようと思います。

 

では天工開物から。

白い陶土を亜土という。製陶家がすぐれて美しい焼物をつくるのに用いる。中国で産出するのは五、六カ所 で、北方では真定府の定州、平凉州の華亭県、太原府の平定州、開封府の禹州であり、南方では泉州の徳化〔土は永定に産し、窯は徳化にある〕、徽群の婺源、郗門〔他所の白土は成形しようにもくっつかない。それで壁の上塗りに使ったりする〕である。徳化窯はただ仙人や精巧な人物や玩具だけを焼き、実用には適しない。

 

以上、天工開物p.140 白磁 付 青磁  より引用でした。

やはり徳化窯は人形で有名なようです。おやおや・・・?

 

お次は中国陶瓷見聞録。

5 中国および世界におけ鎮瓷の独占的地位

 事実、中国全国何処にても造られ、且つ決して瓷と呼ばれざる陶器の類は暫く措きて、例えば福建及び広東等の諸省に於いても瓷は造られ候が、外国人と誰も、彼と此とを混同することはあるまじく候。福建のものは雪白にて、光輝なく、色彩も亦無之候。

〔注〕(一部中略させていただきます。)

 またここに福建のものとあるのは、福建省徳化県において造られた建窯の白瓷、すなわちいわゆる「白建」である。これは明以後の製に係り、間々薄手のものもあるが、概して厚い。盌盞、文具等の他に、観音、達磨、布袋(すなわち弥勒)、獅子、関羽等の像が殊に名高い。西洋人にも夙くから殊に喜ばれたものである。

こちらの注によると、徳化窯ではなく、徳化窯よりも少し北にある建窯で造られた白磁のことを述べているようですが、他で述べられる徳化窯の白磁の特徴によく当てはまっています。福建省一帯で人形製造が盛んだった、ということでしょうか。

しかし建窯は福建省「建陽県」にある窯で、「徳化県」にあるのは徳化窯であるはずなのですが、調べてみると

建窯

広義には、建盞(けんさん=天目茶碗)を焼造した福建省を中心とする周辺一帯の古窯を指す。

との解説が日本国語大辞典にありました。

つまりは建窯=福建省一帯の窯?ではなぜわざわざピンポイントで徳化県を指したのでしょうか?

 

景徳鎮陶録を読んでみましょう。

三七 徳化窯

 これは明代から福建省徳化県で焼造を開始した窯場である。徳化県は当時は泉州府の管下に属していたが現在では永春州の属県となっている。この窯場産の盌・琖は多く撆口で、その白瓷は釉の滋潤さを以て称せられている。但し一般に胎造りが極めて厚く、薄手のものが少い。もっとも〔食器以外に塑像をも造っているが〕中でも白瓷仏像は特別に佳品である。現在ではこの窯を建窯と称しているが、同じ建州瓷と云っても古建州瓷とは大いに異るのである。(85)

厚めの造りで塑像、特に仏像が有名という、似たような記述ですね。最後の行、徳化窯=現在の建窯という点に関して注釈があります。

(85) 近時の調査によって徳化県内では明代に始まる十挑格窯・后所窯が発見されているが、同時に宋代に遡る屈斗宮・祖竜宮窯・新廠窯の発掘もなされている。共に白釉・青白釉・青花の作品を焼造していた。徳化県は五代期に創まる県であって、爾来永春州が設置される清代まで通じて泉州の属県であったからー泉州は盛唐期に創まるー宋代の徳化窯は恐らく泉州窯の汎称の下に包括されていたからであろう。この徳化窯が藍浦の当時に建窯と称されていたというのは理解し難い。

つまり訳者は藍浦(景徳鎮陶録の著者)の時代は、徳化窯は建窯と呼ばれていたのではなく永春窯と呼ばれていたであろうこと、そして著者が参考にしたであろう記述の混乱をそのままにして拡大させたことを指摘しているのです。

建窯と徳化窯は違いますわよ!ってことですわね。

 

1637年に天工開物が書かれた時点では、有名な白磁の産地に徳化窯は含まれており、実用には適さない人形が有名でした。1700年頃、ダントルコールが書いた中国陶瓷見聞録によれば福建のものは雪のように白く、色彩も光輝も無い、特徴あるものでした。1815年、景徳鎮陶録が書かれたとき、引用はしていませんが古建窯についての記述と混ざっており、おそらくは

この窯場産の盌・琖は多く撆口で、その白瓷は釉の滋潤さを以て称せられている。但し一般に胎造りが極めて厚く、薄手のものが少い。

という、徳化窯にて生産される食器の特徴についての記述部分と、

現在ではこの窯を建窯と称しているが、同じ建州瓷と云っても古建州瓷とは大いに異るのである。

の部分が誤った認識であるのではないかと考えられます。そしてこの記述を参考にした中国陶瓷見聞録の訳注者が

またここに福建のものとあるのは、福建省徳化県において造られた建窯の白瓷、すなわちいわゆる「白建」である。

 と言い切ってしまったわけでしょうか。

 

なんだかややこしい話な感じがしますが、白磁が有名で特に人形がイイ!というのは共通して述べられている点でした。

 

次回は今更??という感じですが、卒論の構成について考えてみようかと・・・思います・・・。ここまでお読み頂きありがとうございました。

 

〈参考文献〉

宋慶星撰、藪内清訳『東洋文庫130 天工開物』平凡社、1969年

ダントルコール 小林市太郎訳注 佐藤雅彦補注 『東洋文庫363 中国陶瓷見聞録』平凡社、1979年

藍浦 愛宕松男訳注『東洋文庫464 景徳鎮陶録』平凡社、1987年

北原保雄著『日本国語大辞典小学館、2002年