卒論焼く

こんにちは。卒論を焼きにきました。

前回は卒論の大まかな構成を夢語りして終わりましたね。

今回は一番語りた〜い❤️と言った「観音像」について触れていこうかと思います。波乱の予感。

 

ではまずは観音菩薩についての説明をしましょう。

 

「菩薩」は梵語サンスクリット語)でボーディサットヴァといい、漢訳では菩提薩埵と音写(当て字)され、その省略語が菩薩なのです。

ボーディが菩提、悟りの意味でサットヴァが薩埵、人の意味で、合わさることにより「悟りを求める人」の意味になり、元来は仏教の創始者である仏陀ブッダ)が悟りを開く(=仏になる)前の修行中の姿を指していました。大乗仏教では仏を目指して修行をする者全てを菩薩と呼びます。

 

「観音」というのは、観世音(かんぜおん)の略で、梵語ではアヴァローキテーシュヴァラといいます。かっこいい。

人々の救いを求める声を察知して現れることから、漢訳時(インド→中国→日本と仏教が伝わる際)に「観世音菩薩」と訳されました。また、人々を観察し、救済するのに自在である(なんでもできちゃう)ことから「観自在菩薩」とも訳されました。

 

観音信仰は、インドでは紀元後1世紀頃から始まったと考えられています。独立した観音信仰を説く最初の経典には、観音菩薩が水難や火難など七つの災難から救済してくれること、相手に応じて仏陀や諸天、在家の男女、八部衆など、三十三の姿に変身して説法(ブッダのありがたい教えを説き聞かせる)することが記されています。嬉しいですね。

この自在に変化していく変身性が、現世利益(我々の今生きている世界でのご利益)と来世救済という形をとって、特に世俗における救済を求める土地ではほとんど普遍的に信奉されました。

観音菩薩は日本で最も早く造像された尊格の一つで、飛鳥時代から造像されています。だから我々現代人にとっても、なんだか馴染み深く感じたりすることができるんですね。感じますよね。

 

では実際に徳化窯の白磁観音像をみていただきましょう。

こちらは徳化窯の代表的な作陶家、何朝宗の白磁観音坐像です。

f:id:sugarsatono1:20200725191239j:plain

何朝宗 坐観音像

Late Ming Dynasty, 1619

H. 17in., D.6 1/4in.

Private Collection, New York

蓮華座(でしょうか?布で見えないので分からないのですが)の上に座る観音像です。観音菩薩の図像では冠を被り、前面には化仏(けぶつ)といって小さな仏さまがくっついているのが一般的なのですが、こちらの観音像はその化仏が省略され、高く結った髻(もとどり、髪の毛をまとめた団子みたいなやつ)には布がかかり、肩まで布が垂れています。肩に布が垂れる表現は、垂髪という肩に垂れかかる髪の毛の表現に近いでしょう。この頭に被るヴェールのような布が、マリア観音と呼ばれるようになった理由の一つとして挙げられるでしょう。手首には腕釧(ブレスレット)がごく簡単な輪としてあります。掌は上に向けられて互いの指を交互に組み、本来であれば片足の裏が見えるあたりに手を置いています。

f:id:sugarsatono1:20200725210157j:plain

観音 図像 

本来であれば菩薩は上の図のような座り方(半跏趺坐)をするのですが、布で隠れてしまって見えませんね。またその衣服の袖や裾の布がたっぷりと下へ垂れて蓮華座にまで掛かっているのも特徴的と言えるでしょう。おそらくは中国の衣装がベースとなっているのでしょうが、いかんせん服飾関係には全く知識がないので詳しくはさっぱり・・・申し訳ないです。

お顔は目が釣り気味で凛とした顔立ちをしていますね。小さく引き結んだ唇は肉感を持っており、いまにも動きそうです。頬の丸みと首の肉感に白磁特有(私の個人的な考えです)の青い陰が美しく反射しており、豊かさよりも凛々しさが際立っています。頭から被っている布とは別の、衣服の襟が左右対称にへそのあたりまで垂れて内側で結ばれる形で仕舞われています。こうした衣服の様々な動きが左右非対称に、表情豊かに作り込まれており、衣擦れの音がいまにも聞こえてきそうです。しかしその一方で胸元の瓔珞(ネックレス)や冠、蓮華台は非常にシンプルに作られています。特に蓮華台は無機質に感じられます。こうしたリズムの対比が、全体をまとまった一つの空間として成り立たせており、何朝宗の技術の高さをうかがわせていると思います。

 

長くなってしまいました。色々と難しい語句も出てきましたし、理解しづらかったらすみません。いつでもコメントお待ちしておりますので、なんでも聞いてください。よろしくお願いします。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。次回は白磁観音「立像」についてと、できたら化仏や分類わけについての仮説を書いていこうかと思います。ウェーイ。

 

〈参考文献〉

速水侑編『菩薩信仰』雄山閣、1982年

日本大百科全書小学館、1994年

John Ayers "Blanc De Chine -Divine Images In Porcelain" Art Media Resources,Ltd. 2002

吉田典代『NHK学園生涯学習通信講座 テキスト 仏像の美』NHK学園、2014年