卒論焼いちゃっぴ

こんにちは、卒論を焼きにきました。

前回参考文献を書き忘れていました、すみませんぬ。

では早速。

 

五 白衣観音と送子観音の信仰 にて、潘は、東晋、唐時代の経典から観音信仰の諸功徳のなかに、中国の伝統的な血統の継受という重要な観念と合致するものがあることについて述べ、さらに六朝、斉、唐、南斉、晋の知識人による書籍や高僧による霊験談などから観音信仰と子授けが広く深く結びついていたことについても述べます*1。以下引用です。

ここまでに考察した経典の内容、或いは提起した文書資料の中では直接に白衣観音と送子ということとの関係が結びつくことはなかったが、文献資料に見られる白衣観音像で検討した纏めで指摘したように、北宋末から南宋初期にかけて白衣観音観音菩薩がイコールであることはすでに定着していたのであって、白衣観音と観音の子授けの信仰功徳は、極めて連想しやすく結び付きやすいものであったと考えられる。

以上のように潘は纏めています。

六 結び にて、潘は

白衣観音の図様について言えば、現存する十三世紀以前に造られた白衣観音に関する非密教系統の作品は、その制作地が宋の勢力範囲の及んだ地域内であり、一方、密教系統と認められる作品の制作地は、他民族の支配した地域であると大きく分けることができる。この非密教系の作品とは、その背景に水辺の自然景物が表出されたものであり、これは即ち、敦煌文書P・三九二七啓請白衣観自在文に述べられている白衣観音が居住する補陀落山の情景が表現されたのである。要するに白衣観音は、密教経典に記された内容からの影響を受けて、頭か宝冠から帛を被り、白衣を着るという造形がその特徴の一つであると考えられる。

と述べます。

ここから考えられるのは、宋の勢力範囲の及んだ地域内にあった徳化窯の白衣観音は非密教系の図像である、ということでしょう。確かに、浄瓶を配していたり、巌の上に座していたりと、非密教系の図像を反映した情景と、頭の上から布を被り白衣としての白磁という特徴が合致しているように思えます。

 

次回はまた別の論文も読んでみようと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。また次回もよろしくお願いいたします!

 

参考文献

潘亮文(1997)「白衣観音像についての一考察」、『佛教藝術』231、p.105-137、佛教藝術學會.

 

*1:潘 p130-132