卒論焼滅

こんにちは。卒論を焼きにきました。

もう終わったというか終われ。

おわりにを書いたので載せておきます。

 

おわりに

 白衣観音というのは、白衣を纏った観音のことである。中国において北宋末、南宋初期つまり12世紀頃には独立の信仰とイメージが存在しており、そこから500年近く時を経て、突如として徳化窯にて白磁製の像が造られるようになった。その500年の間に、女性的な性質の付加がなされ、聖母としての観音・白衣観音という存在へと変化していった。そして17世紀初頭あたりから突如として、白磁製の白衣観音像が徳化窯から現れたのである。徳化窯は宋代に始まり、明代中頃から現在の象牙のような白磁製品を作るようになった。主に家庭や小さな寺院の廟に供えるための道具、人物像を生産し、中でも観音像が優れていることは様々な文献に記されている。徳化窯における白磁観音像は、大小様々であり、その姿かたちも、ただ多くのものが頭の上から布を被っているというだけで様々である。しかし何朝宗印のある作品は最初期にして最高峰のクオリティのものであり、その後の白磁観音像の顔立ちや姿かたちに多大なる影響を与えたと考えられる。日本において、白衣観音平安時代密教的存在として中国から輸入され、その後禅の世界で描かれるようになった。白磁観音像は、子安観音として輸入されたのみならず、マリア観音としても輸入された。それは隠れキリシタンたちが聖母マリアに見立てるための観音である。子安・マリアともに多くは子を抱く形である。日中に通ずる安産への願いから、そして聖母という存在への強い信仰から、子を抱く形が望まれたのではないかと考えられる。それは新たな東洋型聖母の誕生である、と言えるだろう。

 白磁観音像は、白衣というただ纏う布の色のみならず、観音という存在の清らかさ、慈悲深さ、聖性のような、根本的性質を包括した色である「白」を白磁によって表したものである。ガラス質の艶と奥行き、陰影の色合い、反射して映しあう光といった、絵画では表現できないものが、白磁には確かにある。白磁は、白衣観音におけるひとつの属性といってもよいのではないだろうか。そう考えたとき、白磁観音像とは一つの完成した世界であり、そこには限りのない美が存在する。それは今、我々に最も近い浄土なのではないだろうか。

 ここまでお付き合いいただけたことは実に幸福なことで、感謝の気持ちを表しきれないほどである。少しでも、白磁観音像について共に見つめ、美を楽しむことができていたら幸いである。心より感謝申し上げる。

 

以上です。いかがでしたか?少しでも楽しい、面白い、気になると思っていただけたら、このブログをやった甲斐がありました。私自身楽しみながら卒論を書けてよかったです。ありがとうございました。修士論文では伊賀焼あたりをやろうと思ってるので、その時はまたよろしくお願いいたします。

とりあえず今回はここまで。お読みいただきありがとうございました!